V6の解散について聞いてください(前編)

推しが解散する。



タイトル通りである。

私が大好きなV6は、

2021年11月1日をもって、その活動を終える。


7か月前まで想像もしてなかった

「推しの解散」

を身をもって体験するわたしが、

この7か月間何を考えて、

どういう風に過ごしてきたのか記録に残そうと思う。

いつか彼らのことを綺麗な思い出にできた時、

またこのブログをみて振り返りたい。


事の始まりは3月12日。

忘れもしない、就職活動のオンライン説明会中だった。

親友から電話がかかってきた私は、

画面をオフにしたまま通話に出て

「今説明会中!」と言い、切ろうとした。


矢継ぎ早に彼女は

「ニュースみた?V6!解散のやつ!」と

私を想って震える声でそう言った。


あまりのパニックに電話を切った。

わずか14秒の電話だった。


今までも何度も解散報道は見てきたし、

「どうせガセだろう」

「こういう報道が出る時はツアーをやる時」

なんていうV6ファンの通説まであるくらいだった。

したがってパニックになった割には、どこか信じていなかった。



しかし今回に限り、それは事実だった。

メールを開けば

「V6から大切なお知らせ」と書いてあり、

ニュースをつければその話題で持ち切りだった。


自然と涙が止まらなくなり、

説明会中だと言うことも忘れ、そのまま退室した。

(後日談だが、この説明会インターン、号泣しながら途中退室した割にはちゃんと通過した。今となっては唯一の笑い話である)


電話をかけてくれた親友とのLINEには

ただひたすら


「これから」

「どうしたらいいの」

「てふるえて」

「もじかけない」

「なんで」

「体温がない」

「さむい」


と打ってあった。

久しぶりに見返したが中々である。


その後もV6ファンの友人たちと電話をしながら

ずっと、ずーっと、泣いていた。

分かったのは、

人は悲しければ何時間でも泣けるということである。



Twitterを開けば、悲しみにくれたツイートばかり、

LINEを開けば、友人達からの心配メールばかり、

家族から話しかけられるのも、その話題。




お願いだからもう誰も何も言わないで欲しいとさえ思った。




何も手につかず、ベッドからも動かず、

「どうして解散を選択したのか」

「いま彼らはどういう気持ちなのか」

それだけをひたすらに考えた。

そして何より、推しのことを考えた。

私が担当(ジャニ界隈では推しを担当と呼ぶ)する

三宅健くんは、ただひたすらにファン想いな人である。

メンバーが結婚した時、祝辞を述べるとともに、

最後に必ず

「今まで応援してくれた方々への感謝を忘れず、

これからも一緒に歩んで行きましょう」

とファンを気遣うコメントをするような、

心優しい完璧なアイドルであると私は思っている。


だからこそ、

今健くんがどんな思いなのか、

ファンの気持ちを想像して辛くなってるんじゃないか、

そこまで考えてしまい涙が止まらなかった。


案の定、その4日後、自身のラヂオで

(舞台中にも関わらず急遽収録してくれた。優しい。)

「ラジオに寄せられたファンからのお便りを読んで、

新幹線の中で泣いてしまった」

と話してくれた。


また、番組の終わりには

「みんなに会いたいなあ。

出来ることなら、眠れないみんなの所に

今すぐ飛んで行って一人一人を一緒に泣きながら、

抱きしめてあげたい」


と伝えてくれ、そこでさらに大号泣。

なんなら書きながら、

今思い出して泣いている始末である。


この回のラジオは放送後記という形で

三宅健のラヂオ」と検索すると全文読めるので、

もうぜひ読んでもらいたい。

多分ファンじゃなくても泣く。絶対泣く。


このラジオ内で健くんは

「泣いてもいいよ、でも泣きすぎないで。笑って。」

とも言っていた。

解散発表日から4日目にしてやっと、

「泣いてばかりじゃだめだ」

と前向きな気持ちになることができたのである。


そして私はこの日から日記をつけ始めた。

11月1日まで、気持ちの整理をつけるためのV6日記。


のちにこの日記が後々の自分を救うことになるのだが、それはまた追追。




5月。

解散発表後、初のミュージックステーション

披露した「僕らはまだ」という楽曲は、

サビで

「僕らはまだ  未完成で」

とタイトルの意味へと繋がる。


解散するグループが、未完成?

と疑問に思われる方もいるかも知れないが、

V6は解散が決定した際、

「1995年11月1日から2021年11月1日まで

綺麗な円になるかのように活動を終える」と話していた。

これはV6が昨年、25周年コンサートで最後に歌った

『羽根〜BEGINNING〜』の歌詞にもある

「時は大きなサークルを描く」や

先日発売されたベストアルバムに収録されている

『Full circle』という楽曲タイトルからもわかる。


V6は「解散ではなく、完成」

つまり、11月1日を完成とするなら、このミュージックステーションの時点では"未完成"なのである。


そんな事を考えてまた泣いた。


泣かないようにしようって思ったけど

全然泣いた。めちゃくちゃ泣いた。

「未完成でもいいから解散しないでくれ」って100回は思った。



でも今は、あと6日後に解散する今は、

「完成する」ことに対してマイナスな感情だけではない。

そう思うことが出来たきっかけは2つある。


1つ目は最後のコンサートである。

当初申し込んだチケットは全滅したものの

なんとか復活当選で滑り込んだ私は、

感染対策も万全に"最後"へと臨んだ。


結論から話すと、死ぬほど泣いた。

3曲目位から立てなくなるほど号泣し、

フェイスシールドもマスクもびちゃびちゃになるほど泣いた。

しかしそれ以上に楽しかった。

ステージ上のV6はキラキラしていて、

どんな瞬間もかっこよくて、美しくて。


ほんとに、本当に大好きだって思った。

こんな人たちを好きになれて良かったと、心の底から思った。








そして、何より。


"V6は26年間幸せだった"


と伝えてくれた。


それだけで十分だった。









大好きな人達が幸せだったなら、

それ以上にファンとして嬉しいことはないし、

そう言って貰える私たちこそ、幸せ者だった。




そしてやっぱり、

「泣きすぎないで、笑って」

と伝えてくれた。


この日から、「解散」という事実に

悲しいだけの涙を流さなくなった。

泣いたあと、笑おうって思えた。





2つ目のきっかけは『学校へ行こう!2021』と

アルバム「STEP」に収録されている『トビラ』という楽曲である。


放送された学校へ行こうは正直死ぬほど笑った。

普段お笑い番組を見ても

「これどこら辺が面白いの?」という母が、

パークマンサー見ながらお腹抱えて涙流しながら笑っていたレベルである。

パークマンサーありがとう。

あんな笑ってる母親久しぶりにみましたわ。


6人旅も、学生達や、昔のキャラクター達も、

ほんとに面白くて3時間笑いっぱなしだった。


それでも最後、メンバーからのコメントになると

うるっとくるものがあった。


なにより番組内で

"まったく涙を流さない森田"と紹介されていた

剛くんが目に涙を浮かべながら、


「ここのスタッフとはいい時も、悪い時も一緒に過ごした」


と話していたとき、

「26年もやっていれば、私たちの知らない辛いこともあったんだろうな。」

と心の底から実感した。


そして学校へ行こうを見終わって、

聞いていた"V6最後のオリジナルアルバム"から

『トビラ』という楽曲が流れ出した瞬間

急に涙が止まらなくなった。



「逃げ出したこと 間違ったこと 少なからず僕にもあった

乾いた砂に水が滲む 許しあってこれたね

大切なもの失いたくなくて もがいていた」


という歌詞が、

さっきの「いい時も悪い時も」といった剛くんの言葉に重なった。


間違ったことも、許しあって、

それぞれがV6を守ろうと、もがいて。


あくまで私の解釈ではあるが、

そこまで想像して涙が止まらなくなった。


20周年のインタビューか何かで

「一緒にいようとした、何気なくここまで来たけど、一人一人に一緒にいるための努力があったはず」

(※記憶が曖昧なのでニュアンス)

と井ノ原さんが言っていたのを思い出した。


26年、V6を続けてきてくれた。

どこかで辞めるタイミングはいくらでもあったはずなのに、

それでもここまで続けてきてくれた。


たっくさん感謝したいと思う。


V6がデビューした時、私はまだ生まれていない。


V6を続けてきてくれたから好きになれた。

好きになれたから、私は毎日幸せだった。


悲しいけれど、嘆くだけじゃなくて、

沢山感謝を伝えないと、とやっと気づいた。


完成まであと6日。


この完成を私たちは楽しみながらも、

悲しみとともに見届けるのである。



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